西暦 中国年号 日本年号 王代 事項
1368 明 洪武1 正平23 察度19 [中] 民朝興る
1372 文中1 23 明の太祖、楊載を遣わして琉球を招諭
1392 25 元中9 43 官生(中国留学生)始まる
1406 永楽4 13 思紹1 尚巴志、中山王武寧を滅ぼし、父の思紹を中山王となす(第一尚氏王統始まる)
1422 20 29 尚巴志1 尚巴志中山王となる
王茂に続いて懐機を国相に任ず
1429 永亭1 尚巴志南山を滅ぼし、三山を統一という
1458 天順2 長禄2 尚泰久5 護佐丸・阿麻和利の乱起こる/万国津梁の鐘を首里城
正殿にかける
1469 成化5 文明1 [中]市舶司、泉州から福州へ移るにともない柔遠駅
(琉球館)を福州に設置す。
1470 尚円1 金丸(尚円)王位につく(第二尚氏王統始まる)
1474 10 進貢が不時朝貢から2年1貢に、入京人員も制限される
1534 13 天文3 尚清8 冊封使陳侃来琉(尚清の冊封)
1566 嘉靖45 永禄9 尚清11 阮國生まれる(~1640年没)
1570 降慶4 元亀1 15 シャムへの最後の遣船(東南アジア貿易途絶える)
1592 20 文禄1 [日]秀吉朝鮮出兵(文禄の役)、1597年に慶長の役
1594 22 阮國、琉球貢使菊寿らを護送して琉球に到る(初の来琉)
1600 関ヶ原の戦い
1606 34 11 18 冊封使夏子陽来琉、尚寧王山王に封ぜられる
1607 35 12 19 阮・毛二姓久米村に入籍/阮國西原間切我謝地頭職に任ぜられる
1609 37 14 21 島津の琉球侵入。尚寧王捕虜となる
1612 40 17 24 明への進貢10年1貢を許される/鄭迵処刑さる
1633 崇禎6 寛永10 13 明に謝恩使派遣、2年1貢を許される
1640 阮國卒
1644 清 順治1 正保1 尚賢4 明滅び、清興る。南明政権あいついで興亡する
1676 15 尚貞8 金正春、孔子廟建立
1686 25 貞亨3 18 阮維新(四世、後の宜保親方)ら官生として派遣
(清朝での第一回官生派遣)
1688 27 元禄1 20 魏士哲、福州で補唇術学ぶ
1697 36 10 29 蔡鐸『中山世譜』を編集(~1701年)
1699 38 12 31 尚貞、久米村の繁栄を祝い通事以上を玉城に招いて宴を開く。四世の阮廷章、阮維徳らも出席
1718 57 享保 3 久米村に明倫堂が創建される
1719 58 阮瓚(五世山田親雲上)、太平山(宮古島)に流刑(罪状不詳)、10年後の1729年許されて帰国
1720 59 阮璋
1728 13 16 蔡温、三司官となる
久米村、里之子、筑登之家の別を定める。阮氏、里之子家とされる
1744 乾隆9 延享1 32 阮為棟(五世我謝里之子親雲上)勤学として渡唐。
福州滞在中の1747年に病没
1745 10 33 鄭秉哲ら『琉陽』を編集/阮超叙(六世小渡親雲上)重修板敷橋碑の撰文をなす
1753 18 宝歴3 尚穆2 阮超叙接貢協通事として福州からの帰国の途中、
難破。翌年、船を新造して帰国
1796 嘉慶1 寛政8 尚温2 阮世栄(七世小渡里之子親雲上)勤学として福州に渡航。福州近くで海賊の襲撃を受け一旦帰国。武器を増強して再度渡航す
1806 11 文化3 尚灝 3 阮璋
1821 道光1 文政4 尚灝18 阮宣詔(九世神村親方)生まれる(~1885年没)
1840 20 11 尚育6 阮宣詔ら官生として派遣
[中]アヘン戦争
1853 咸豊3 嘉永6 尚泰6 ペリー来航
1859 安政6 12 阮宣詔、紫金大夫となる
1861 11 文久1 14 阮宣詔、総役となる(最後の久米村総役)
1865 同治4 慶応1 18 阮宣詔、南風原町間切神里村の地頭となり、神村親方と称す
1866 19 冊封使趙新来琉(尚泰の冊封、最後の冊封使)
1869 明治1 21 [日] 明治政府成立
1872 11 25 維新慶賀使派遣(東京へ)琉球藩となる
1879 12 32 琉球処分断行。琉球藩を廃して沖縄県を置く
1880 阮宣詔(神村親方)、天妃宮に保管されていた『歴代宝案』を自宅に移す。(後、明倫堂に移管)
門中会が組織されたが、活動の詳細は不明
1926 大正15 この頃、門中の年間行事は年始祭(旧暦の1月1日)
・清明祭(清明入り後の第一日曜日)
・秋彼岸(入日当日)・大祖御命日(旧暦12月5日)
・学事奨励会(門中の金銭出納帳より)
1930 昭和5 10月28日、門中有志による模合積立金で久茂地に
家屋敷を購入
1933 明倫堂に秘蔵されていた『歴代宝案』を当時の
沖縄県立図書館に移管する
1944 19 米軍の10月10日の空襲(10・10空襲)により、
久米を含む旧那覇市全域破壊す
1951 26 戦後米軍基地となっていた久米など旧那覇地区が
開放され、区画整理はじまる
1953 28 4月、門中会会則を制定。
11月16日、戸籍整理法が公布され、焼失された戸籍を新たに作り始めた。
1954 29 4月、会員の寄付金と門中会の資金で那覇市識名に
元祖の墓を再建
1987 62 7月、中国阮姓宗親会との交流を始める
11月8日、門中会を発展解消し、社団法人(みなし法人)阮氏我華会を設立
1988 63 9月、泉崎に宅地、建物を購入し、テナントビルとして運営
1992 平成4 6月、香港阮姓宗親会と、7月、台湾区阮姓宗親会と交流をはじめる
1993 7月、福建省漳州市の阮姓祖廟改修工事完成する(我華会、改修工事費を寄付)
1997 11月9日、始祖阮國来琉400年記念碑を墓地内に建立、同記念式典並びに阮氏我華会創立10周年記念式典及びパーティーを開催
1998 10 9月、始祖阮國公来琉400年記念誌発行
1999 11 台湾視察研修(台湾区阮姓宗祠祭(年秋)参加)
2003 15 有限責任 中間法人 沖縄阮氏我華会 設立
2006 18 台湾孔子廟調査と台湾阮祠(春季)参加
2009 21 一般社団法人 沖縄阮氏我華会 名称変更
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