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阮咸(げんかん)字(あざな)は仲容(ちゅうよう)、竹林(ちくりん)の七賢(しちけん)の一人で陳留郡尉氏県(ちんりゅうぐんしけん)
(河南省開封市(かなんしょういほし))の人、魏(ぎ)の武都太守阮熙(げんき)(阮籍(げんせき)の兄)の子、
阮膽(げんたん)・阮孚(げんふ)の父である。(生卒年不詳)
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自由奔放で、叔父の阮籍と共に竹林の遊をなす。礼法にとらわれず行動し、当時の儒士に誹謗された。
阮籍と共に部落の道路の南側で暮らし、その他の阮氏は道路の北側に居を構えていた。
阮氏は全体的に裕福であったが、北側の阮氏(北阮)は南側の阮氏(南阮)よりさらに裕福であった。
当時の年中行事として虫干しの日である7月7日、豊かな北阮の家では、うすぎぬ、錦、あやぎぬ等、
豪華絢爛ない服を誇らしげに外に掲げ干したのに対して、南阮のほうでは庭の真ん中に立てた竿の上に、
布のふんどしを干した。人が怪しむのに答え手がいうには「いささか世間の習わしに従ったままでござる」と
嘯(うそぶ)いたエピソードがある。(世説新語による)
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竹林の七賢の中では王戎(おうじゅう)についで二番目に若かった。
また、琵琶を奏でる名手であり音律にも精通していた。彼はどんな微細な音色も聞き分けられ、
その能力の右に出るものはいなかった。
阮咸が好んで使用した琵琶は、「阮咸が新しく改造した」という説が生まれ、以後、彼を慕う人々がその琵琶を
見るたびに阮咸を思い出すことから、次第に「阮咸」と呼ばれるようになった。
始平太守(しへいたいしゅ)に就いて、のち没す。
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楽器の「阮咸」は奈良の正倉院に日本の宝物として二面(螺鈿紫檀阮咸、桑木阮咸)伝わっている。
唐代の作で、通常の琵琶と異なり、胴の部分が円形をしていて沖縄の三線と形が似ている。
弦(げん)は4弦。